活動情報 |
役員の顔ぶれ |
今までの主な事業 |
2006年度 |
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会発足までの経過 | |
発足 | 1999年4月、45歳定年制を柱とするメビウス会則により3名の退会会員が出ました。 メビウスを通じて出来た交流を45歳で終わらせたくないとの意見があり、OB会が発足。 実質的には2000年のOB会員が出て10名になった時に設立総会を行い活動を開始し ました。 |
会則 | 1999年 会則なし。会員3名。 2000年 設立総会。規則は年1回の総会のみとし、会の縛りをなくした。会費もなし。 会長 伊藤敦朗、事務局 児玉亮 2001年 同上。 2002年 会員数増加に伴い、連絡費が必要となって年会費1000円に決定。 1000円を支払った時点で会員、未払いの会員は休会扱い。 詳しい会則は後日総会で決定予定。 2003年 会員が増加し管理が大変なので、今後の運営について協議中。 2004年 相馬力美、伊藤敦朗らの提案で新規の独立した会として設立。規約も決めた。 現在会員は37名。会費は年3000円。 2006年 会員の増加に伴い一部改正。副会長を2名とする。 |
会の名称 | 2000年3月。 当初は志吾(しご)会。 45歳で退会というメビウス会則をもじって45歳で退会した会員を縮めてシゴ会。志は我々 にあるというこじつけで志吾会とした。しかし、シゴが死後とという響きを漂わせていて会 員からは苦情が多く新しい名称を探していた。 |
2001年4月。 畠山政子氏を中心とする「北嶋雄一写真集を発行させる会」が、メインテーマに「きゃからばあ」 を選択した時から名称を「きゃからばあ倶楽部」に変更した。 「きゃからばあ」も「キャバクラ」に間違えられことが多く、多少引っかかりがあるが、死後会 に間違えられるよりは「まいいか」ということで、自然成立しました。 意味は何回も聴いているのですが私も良く知りません。 五輪塔に書かれている梵語で「空風地火」を現していて、森羅万象を意味しているらしいで すが・・・。 |
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2004年2月21日に設立総会。新規名称は2004年5月「メビウスOB会」 に決定。 |
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2006年5月。 「メビウスOB」という名前がメビウス本会との区別が分かりづらく紛らわ しいという意見がメビウス本会とOB会員からあがり、2006年度の通常 総会で名称を改定することとなった。 新しい名称は「クライン」。クラインの壷から命名された。 右の図がクラインの壷といわれる表と裏の無い壷。 |