願人とは下級山伏、修行僧のことで、起源は江戸初期といわれる。
明治初年、村内の有産階級の跡継ぎたちが、歌舞使芝居を豪華に公演したのに対抗して、若勢(わかぜ)連中が踊ったのが、現在の願人踊りの原形となったらしい。
踊りは、踊り手四人、唄い手、歌舞伎かつらに白塗りの定九郎と杖を突いたじっちゃ(与一兵衛)、風流傘に豊年満作の文字を大書した御幣(ごへい)を付けささげ持つ音頭上げ、の組み合わせで演じられる。
衣装は、「仮名手本忠臣蔵五段目」の寸劇を演じる2人を除いては、女物の長襦袢を着る。そして、色だすきを十字にして、前だれをかけ、手甲(てっこう)、脚絆(きゃはん)に菅笠を背負って杖を持つ。
神社の境内で奉納を済ませたあとは、町に繰り出し、一日市地区の商店や家々の前で、右手足と左手足を交互に素早いテンポで繰り出す一直踊りを披露し、定九郎が街道で出会った与一兵衛じっちゃから、金を奪い取ろうとするユーモラスな寸劇を演じると観客から笑いがこぼれる。
昭和27年ごろから願人踊りの保存のために、「一日市郷土芸術研究会」を結成、中心になって活動したのが、現在会長を務める小柳克二(こうじ)さん。
小柳さんにとって、昭和46年、東京の国立劇場で願人踊りの公演を行ったことが誇りで、「そのころは、五月五日の例大祭の一カ月ほど前から毎日びっしりと練習をしたものだ」となつかしそうに話してくれた。
(文・ ラ ルート 1999年3月30日 vol.9秋田県道路広報連絡会議企画発行 から)
写真・メビウス広報 2000/05/05
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