たておか りつざん
「八郎潟の風光を愛して止まない館岡栗山画伯が
自らを称して『八郎人』と呼んでいるが、いみじくもいいけるかな。
八郎人・・・・・・
八郎湖を朝夕眺め、八郎潟から獲れた魚を食い、
八郎潟の潟風に吹きつけられて育ってきたものは、
まさに『八郎人』でなくて何だろう。」
昭和31年石田冷水著「八郎潟風土記」から
絵、写真、文章 「栗山画談」館岡栗山著 1980年10月発行 秋田文化出版者より
略 歴本名、館岡豊治。
明治30(1899)年9月9日、秋田県南秋田郡馬川村高崎(現在は五城目町)生まれ。
秋田師範学校を中退し、京都にて勉学。
院展の近藤浩一路に師事。
昭和8年、「台温泉」が院展で初入選。
安田靭彦の指導を受ける。
昭和12年春展、「雨後」が横山大観賞受賞。
昭和40年、院展ニ20回入選をはたす。
昭和42年、院展特待、無鑑査。
秋田県にて日本画研究グループ「新樹社」設立。
大正期、俳句雑誌「山彦」を主宰。
昭和20年台初め、一日市町(現在は八郎潟町一日市)にて湖畔時報社設立。
昭和27年、秋田県文化功労賞受賞。
昭和45年、勲五等双光旭日章受賞。
昭和53年10月16日死去。81歳。
「竿灯まつり」 部分
「秋田の盆踊」 部分
関連ホームページ
● 五城目町広報 すばらしい先輩たち・第2集「舘岡栗山」