大潟 八郎
おおがた はちろう
「こっから舞」のビデオから本名、佐藤久雄。八郎潟町一日市生まれ。
2010年3月12日逝去。83歳。
発売日 発売 題名 内容 * コロンビアミュージックエンタテイメント 色っぽい爆笑生い立ち 1986年12月4日 秋田市文化会館 1997/6/21 コロンビアミュージックエンタテイメント 決定版
盆踊り集14曲目に平成日本ふるさと音頭(大潟八郎,桂葉子) が収録 1988年12月11日放映
新宿コメディシアターEIZO創庫
「ライブラリー」花王名人劇場
「坂東英二のビックリ宴会芸」出身地・秋田の方言を生かして笑いにする秋田漫芸師。秋田訛りがかなりキツくそれを逆手にとって面白みとしている。「まちがい節」なる標準語を聞き違うと全く意味が違ってしまう数え歌で大爆笑。
1999/06/19 コロンンビアミュージックエンタティメント ベスト東北コミック(滑稽)決定版大潟八郎爆笑秋田漫芸集
- 1. 迎春鳴鳥歌
- 2. ンニャ俺だばしゃ
- 3. 浮世絵車
- 4. 生活節
- 5. 女なみだ節
- 6. ムーン・レース(夢の草競馬)
- 7. めぐすり
2001/04/21 コロンンビアミュージックエンタティメント 「お待たせしました!!極付 爆風 大潟八郎ショー 実況録音」 トコトンヤレナ/鉄道と婆様ほか 2001年 テイチクエンタテイメント
制作 東阪企画花王名人劇場特選
一芸名人の競演全6巻のビデオ
第4巻「大道芸」
サイクル松林/文福太郎/ヘルシー松田/村崎太郎・次郎/大潟八郎/ローラーズ/源氏太郎/中村有志/ザ・ビート他 (51分)2009/07/21 コロンンビアミュージックエンタティメント 「ベスト東北コミック(滑稽)決定版 大潟八郎 爆笑秋田漫芸集」
- 1. 迎春鳴鳥歌
- 2. ンニャ俺だばしゃ
- 3. 浮世絵車
- 4. 生活節
- 5. 女なみだ節
- 6. ムーン・レース(夢の草競馬)
- 7. めぐすり
2001年 テイチクエンタテイメント
制作 東阪企画花王名人劇場特選
一芸名人の競演全6巻のビデオ
第4巻「大道芸」
サイクル松林/文福太郎/ヘルシー松田/村崎太郎・次郎/大潟八郎/ローラーズ/源氏太郎/中村有志/ザ・ビート他 (51分)
大潟八郎に関する様々な記事を紹介 2008年7月5日
ニッケイ新聞秋田から漫芸家=大潟さん来伯
秋田県の漫芸家・大潟八郎さんと民謡歌謡歌手・桂葉子さんが来伯、十二日午前十時半から、秋田県人会館(リンス・デ・ヴァスコンセーロス通り3382)で公演する。移民百周年を記念して来伯するもので、十三日までの滞伯中、グアタパラ移住地、タウバテ、サンジョゼ・ドス・カンポスを慰問公演するという。大潟さんの芸は、語りと歌で独特の〃おかしみ〃があり、会場が爆笑の渦となる。鑑賞についての問い合わせ電話5573・4107(県人会)。
2008年7月23日
ニッケイ新聞
秋田県人会=お国言葉の駄洒落を連発=大潟さん公演「感激した」
百周年を記念して、秋田県を拠点に活動する漫芸家の大潟八郎さん(81)と演歌歌手の林葉子さんが来伯し、十二日に聖市の秋田県人会館で公演を行った。小松雹玄会長が二人を紹介する前から、大潟さんはマシンガンのような秋田弁の駄洒落や下ネタを連発して舞台に登場し、会場に集まった約六十人は終始、爆笑の渦に包まれていた。
「秋田弁で笑わせてもらって、感激しました」と公演の感想の語ったのは三浦徳治さん(84、同県出身)。「十歳でブラジルに来たが、いまだに秋田弁が忘れられない」とし、妻・岩子さん(77、福島県出身)と笑顔を浮かべた。
岡本キミさん(84)も「涙がこぼれた。私も八郎潟で生まれた。私が日本を出る頃は湖だったが、六十三年ぶり、十年前に帰郷した時には、埋め立てられてた」としみじみ。
昼から歓迎会となり、百周年を記念して兵庫県から送られた「神戸の美味しい水」のペットボトルも振る舞われた。百周年協会が式典後に、各県人会に二百本ずつ配ったもの。
挨拶にたった大潟さんは「今の日本は、国富て民貧しだ」と最近の猟奇事件が連続する日本の治安を憂いてみせ、「ブラジルでは高齢者はバスはタダ。日本より豊かだ」と賞賛した。初来伯は十八年前同会館が落成した折りで、会館建設に百万円を寄付した。二度目は八年前の県人会創立四十周年だった。
桜庭喜太郎顧問は「百周年でわざわざ来て頂いてありがたい」と感謝した。大潟さんらは三日に来伯し、タウバテ在住の安藤光明さんや海藤司さんらのコーディネートにより、グアタパラ、インダイアツーバ、アルジャー、サンジョゼ・ドス・カンポス、カンポス・ド・ジョルドンなどでも公演し、十四日に帰国した。2009年11月01日
秋田魁新報社秋田弁を交えた軽妙な語りとしぐさで笑いを誘い、トレードマークの山高帽とタキシード姿から「東北のチャプリン」と呼ばれる秋田市在住の漫芸家大潟八郎さん(82)=本名・佐藤久雄。昨年夏に喉頭(こうとう)がんが見つかり、今年4月には声を失った。それでも大潟さんの芸人魂は健在。ペンに熱い思いを込めて自叙伝を執筆、今月中旬に出版の運びとなった。「これもすべて皆さんのおかげ」と筆談で語る大潟さんの表情は、支えてくれたファンへの感謝に満ちている。
八郎潟町出身の大潟さんは1977年にコロムビアレコード専属となり、79年から東京・浅草松竹演芸場で腕を磨いた。代表ネタは「コッカラ舞」「まちがい節」など。舞台やテレビ、ラジオで活躍した。
のどの不調を感じて診察を受けたのは昨年6月。喉頭がんと診断された時は、頭の中が真っ白になったという。それでも「声が出るうちは芸人として頑張ろう」と自分に言い聞かせ、活動を続けた。
日本人のブラジル移住100周年だった昨年の7月には、長年交流してきたブラジル秋田県人会に招かれてサンパウロで公演。通院生活を送りながら精力的に活動をこなしてきたが、今年4月、芸人の命ともいえる声はとうとう出なくなった。
大潟さんが闘病中であることを知り、友人たちも励まそうと動き出した。「声を失ってもペンがある。自叙伝を書いたらどうか」と勧めたのは、日本司会芸能協会常任理事を務める司会業の渡辺寛尚さん(八郎潟町)。10年前から書きためてきた原稿があった大潟さんは、これに加筆して自叙伝を完成させることを5月に決意。「秋田聞き書き学会」の清澄竜子さん(秋田市)が、筆談しながら編集に協力した。
半年がかりで完成した自叙伝「笑いの始まりコッカラだ! 秋田漫芸一代記」(くまがい書房)には、波瀾(はらん)万丈の人生が凝縮されている。
幼いころ見た八郎潟の情景。親、友人との思い出。季節作業員として千島列島のパラムシル島(旧日本領の幌筵(ほろむしろ)島、現ロシア領)に渡ってサケの缶詰加工に従事した戦時中の回顧。芸を磨いた浅草時代。そしてライフワークとなったブラジルとの交流…。
まさに笑いあり涙ありのヒューマンストーリー。「人間は一人では生きられない。皆さんのおかげでここまでやってこられた。感謝の気持ちを本に込めた」。大潟さんは筆談で、こうコメントした。
声が出なくなっても、芸人を引退するつもりはない。6月には三種町で行われた地元演歌歌手のショーにゲスト出演し、オリジナル曲のテープ演奏に合わせ、ユーモラスな踊りで会場を沸かせた。今月の出版記念祝賀会でも一芸披露する予定。
祝賀会は今月11日午後6時半から、秋田市のホテルメトロポリタン秋田で行われる(参加費1万円、自叙伝込み)。「お笑いに生きた大潟さんは庶民のスター。慢芸は立派な芸術だ。祝賀会ではその功績をみんなでたたえたい」と渡辺さんは話す。祝賀会の問い合わせは、くまがい印刷TEL018・833・2220
仙台NHK放送局企画
仙台市内書店
「秋田漫芸一代紀」これは秋田県八郎潟町生まれで、漫芸家という独自のスタイル を確立し、東北のチャップリンと呼ばれている大潟八郎さんの 本です。八郎さんは浅草松竹演芸場で活躍し、その後も秋田を 中心に幅広く活動されています。思い出深いいろいろな人々との出会いの様子や、芸事に対する熱い思いなども綴られ、その 人柄がうかがえます。その知名度は秋田では相当なものです。 実は先週、私どものお店でサイン会を開いていただきました。 遠方よりのファンの方も八郎先生の元気なお姿を見て喜んで頂 けたと思います。漫芸家大潟八郎さんの一代記です。 2010年3月13日
共同通信大潟 八郎氏(おおがた・はちろう=漫芸家、本名佐藤久雄=さとう・ひさお)12日午前11時53分、こう頭がんのため秋田市の病院で死去、83歳。秋田県出身。自宅は秋田市土崎港中央6の10の36。葬儀・告別式は14日午後3時から秋田市土崎港中央2の8の22、嶺梅院で。喪主は長男聡(さとし)氏。 WEB(死亡欄) 漫芸家の大潟八郎(本名:佐藤久雄)、喉頭癌のため秋田市の病院で12日死去、83歳。
1927年新潟県(秋田県の誤植です)八郎潟町生まれ。46年演劇同好会「漣楽団」が一日市町に発足させる。大潟はトランペットを担当し、笑いと音楽を提供。60年代から秋田漫談を復興させた民謡歌手としても活躍。77年コロムビアレコード専属となり、79年から東京・浅草松竹演芸場に出演。舞台やテレビ、ラジオで活躍。84年八郎潟町教育文化功労者。92年と00年にブラジルを訪問して秋田県人会と交流。秋田県