八郎潟青年者異業種交流会∞メビウス 
結成5周年記念誌

1999/04/01 メビウス広報部制作 (記念誌の一部を掲載しております)

5周年記念誌を祝して



 
伊藤敦朗
(会長 伊藤建築士事務所 昼根下)

 今冬の何年か振りの大雪も嘘の様に無くなり、春いっぱいの日差しが眩しい今日この頃です。

 さて、私たちのメビウスも5年という節目の年を迎えることができました。これも単に皆様方の御協力と御支援の賜と心から感謝しております。

 平成5年の冬期に、当時北都銀行八郎潟支店の支店長をなさっておりました保坂さんより「青年達が寄り合い、酒を酌み交わし、世の中のことを話したり、自分達で楽しめるイベントを企画運営したりする会を作ろう」との呼び掛けに応じ、12月の雪の舞う寒い日に、北都銀行2階の会議室に集まったのが昨日のことの様に思い出されます。

 そして、平成6年6月に設立総会を催し今日に至ります。この5年間は決して平坦な道程ではありませんでした。世の中の流れの中で、様々な組織の内に組み込まれていく年代の方々が多く、一時は会存続の危機を向かえた事もありました。
 そんな時、「メビウスというのは独立独歩の会で上部団体があるでもなく、他より資金援助を受ける会でもない。もっぱら自分達で何でもできる、またする会なのだ。そして会を無くすことはいつでもできる。それよりも、今までのやり方を軌道修正し再出発してみよう。」という執行部一致の意見で活動を続けて来ました。

 家族交流会あり、研修旅行あり。また会員以外に門を開き、公開講演会や学習会を開催したりもしました。お陰で、当初は「メビウスは何をする会だ?」と言われていたのが、最近はかなり周知されてきている様です。

 また、私達の例会ではありませんでしたが、秋田県地域づくり協議会『いろり塾』では会員各々の力をいかんなく発揮しました。あの時の結束力、行動力、何をとってもすばらしい働きでした。私にとってもうれしい思い出の一つです。

 最後になりますが私みたいな愚人を盛り立てていただいた会員の皆様に感謝いたします。メビウスの益々の発展を祈念して筆を置きます。


 
保坂英世
(初代顧問 前北都銀行八郎潟支店長)

 メビウス五周年おめでとうございます。
 休みの日に角川文庫、灰谷健次郎の『きみはダックス先生がきらいか』を読んでいたら、その中に、「やっぱりなあ」と生徒が言い、「やっぱりですねえ」とうれしそうに先生がこたえるシーンが出てきました。クラスみんなの気持ちが一つにまとまっていく過程の一場面です。
 この「やっぱりなあ」という言葉は、メビウスの5年間の活動に関して、今原稿を書いている私の気持ちとピッタリだなあと思いました。

 仕掛け人のひとりとして、会を立ち上げた当時を振り返ってみます。湖畔時報のコピーをひっぱりだして確認すると、平成6年1月19日に第1回例会が商工会館で開かれたと書かれています。とすれば、世話人というか発起人のメンバーが集まったのは12月頃であったのでしょうか。銀行2階の会議室で、夜遅くまで意見を出し合った光景が思い出されます。

 なぜ異業種交流会を作りたかったのか、しかも若手といわれる年代のものを。それはずっと前から私自身の深層意識中で必要と思っていた事柄であったからかもしれません。銀行組織内だけでの付き合いでは自分がやせ細るように思えるし、健全な常識というか眼を持てないような気がしていました。そういう欲求が一番大きな要素であったかなと、今から振り返れば説明がつけられます。

 私が羽後銀行八郎潟支店へ赴任したのが合併して北都銀行となる少し前の平成4年4月、支店長としては2ヵ店めの店でした。1ヵ店めの秋田市内店は商住混在地であるとはいえ、どちらかといえば個人顧客中心と取引が限られています。八郎潟支店はひとつの行政区域に立地しており、公共団体や企業・個人と取引層は幅広く、またお客様の気質と土崎衆の私とでは相通じるものがあって、仕事をしていて楽しいなと感じていました。なによりも、結果的にであっても街づくりに参画しているということに、やりがいを感じます。

 支店長の職務として、いろいろな会合に出席することもありますし、銀行としても貯金会と称する会がけっこうあって、12月には必ず胃の具合が悪くなるくらい酒ものみました。ただ若い人との機会が少ないのが不満といえば不満で、商工会青年部くらいなのです。前には若い人たちの会もあったようですが、定年制もなく年数を経るうちに変質してしまっておりました。

 八郎潟の若い人の潜在能力はすばらしい。これは松田聖子ではないけれど、ビビビッときた私の直観です。路上ミュージカルをつくりあげるなかで、その直観は確信に変わりました。この素質というか、エネルギーを、だれかがうまく交通整理する人がいればおもしろい会ができるだろうなと思いました。そんなことを一杯のみながら、たしか町役場の畠山金一課長であったと思いますが、話したところ、「そりゃいいなあ」と賛同の言葉があったので、「よし、やろう」という気になりました。

 あとは私の得意科目であるクイックレスポンス(場合によると拙速になってしまいますが)で、発起人として商工会青年部のメンバーを主に声かけし案内を出しました。根回しも何もしておりませんでしたので、話しかけられたメンバーも当初面食らったと思います。おおまかな構想を話し、意見を出し合う中で「まずはやってみよう」という方向になっていきました。ちょうど商店の後継ぎとして大学を卒業してきた人や他県から結婚して八郎潟町へ来た人などがおり、受け皿として何か欲しいなという時でタイミングも良かったようです。

 最初は秋田県人らしく「日本酒について」をテーマに秋田市広面の佐々辰酒店山田博之氏を講師に招きスタートしました。ところが大きな予定外の事態発生。転勤の辞令をもらってしまったのです。もう一年はいるだろうとの予想のもとに始めたこと。銀行の会ではないのだから、運営は自主的にやっていくようにと最初から考えてはいたものの、軌道に乗るまではお手伝いしなければと思っていたのに。

 そこで冒頭に戻りますが、「やっぱりなあ」というのは「やっぱり立派にできたなあ」ということです。その後のメビウスの活動は私の期待どおりというか期待以上のものでした。『鼓弓を聞く会』などのアイデアにはうれしくなってしまいました。

 長続きさせるためのキーワードは『楽しんでやる』ことと、『ひとの話をいっぱい聞いて自分を大きくする』ための活動とすることでしょう。なお一層のご活躍をお祈りいたします。


奈良芳夫
(前顧問 前五城目信用金庫八郎潟支店長)

 八郎潟青年者異業種交流会∞メビウスの創立5周年を心からお祝い申し上げます。
 この会が情報交換や研修活動を通じて、会員相互の親睦交流を図ることを目的に結成されましたが、幅広い活動実績を見ますと、目的以上の成果を上げておられますことに敬意を表します。
 その中には、移動研修、キッズサークル、講師を招いての月例会・公開講演会、そして一昨年は『いろり塾八郎潟大会』が盛大に開催されるなどフレッシュな一致団結したパワーを大いに発揮されております。

 今、豊かな人間関係・仲間作りが求められている時代、今後も会員一人一人の豊かな感性を大切にし、この記念すべき5周年を新たなスタートとして、事業活動に積極的に取り組んで頂きたいと思います。

 八郎潟青年者異業種交流会∞メビウスの益々のご発展と会員、ご家族皆様のご健勝を記念し、お祝いの言葉といたします。



一関信夫
(八郎潟町商工会事務局長 秋田市)

『メビウスに期待して』
 八郎潟青年者異業種交流会「メビウス」が誕生して、5周年を迎えましたことに対しまして、心よりお祝いを申し上げます。
 平成7年4月、商工会に赴任してまもなく、当時の吉田会長から異業種交流会メビウスの存在を知りました。成り行きで顧問となりましたが、これまであまりお役に立てず、心苦しく思っている次第です。
 〈めびうす通信〉を拝見しますと、会員の団結、ご家族も含めた活動など、他の地域にはない誠にユニークな青年異業種交流会と言えるでしょう。

 八郎潟町は、メビウスや商工会青年部など若者が元気であり活力を感じます。盆踊り、ミュージカル、大道芸のイベントなど誇れるものがたくさんあり、若い人達が大きな力になっていると思います。

 私がメビウスに期待することは、地域活性化のための活動であります。
不況はいまだ明るさも見えない状況で、地元企業にとっては、この上なく困難な時代となっております。これが地域産業を益々衰退させ、雇用の悪化からの人口減少へと続くことが心配されます。

 昨年12月の臨時国会で「新事業創出促進法」が法案成立し、2月26日施行されました。この目的は完全失業率が戦後最高の水準に達し、廃業率が開業率を上回るという逆転現象が続くなど、低下する雇用機会と新たな事業活動を目指す起業家に、資金や経済情報などを支援するためのものです。
 ①創業者に直接支援(個人の創業か既存企業の分社化は問わない)
 ②中小企業の新技術を利用した事業活動の支援
 ③地域産業支援と事業環境整備
の3っが柱です。秋田県商工会でも小規模企業対策の一つとして、新規開業等を通じた経済活性化、雇用増進支援のため、一昨年からセミナーを行っております。それによりますと、参加者も年々増加して学生、会社員、事業者など様々で、創業に向けて頑張っている人が多くなっているようです。

 インターネットでホームページを開設することにより、誰でも商売ができる時代となり、新しい発想が求められております。それはやはり若い人達ではないでしょうか。この役割を八郎潟青年者異業種交流会「メビウス」のメンバーに期待いたします。



吉田和紀
(前会長・運営 吉田畳店 一日市)

『メビウスの5周年記念に寄せて』
 八郎潟青年者異業種交流会メビウスの創立5周年に心からお祝いいたします。

 今や、八郎潟町のみならず県内各方面からも注目を集めている当会は、自らの企画立案の下、会員一丸となってその運営に携わり、会員相互の親睦交流から生まれた熱意と希望や夢をひとつの目標として、様々な事業活動を展開して来たと今さらながら青年としての行動力に熱いものを感じます。

 この会を創るきっかけを仕掛けてくれたのは、元北都銀行八郎潟支店長の保坂英世氏でした。平成5年11月から4ヵ月間にわたり、私は町主催の商店街活性化産業育成ビジョン策定委員の一員となり、委員長となった保坂氏と各種団体からの選出委員と共に当町のビジョン策定の方向や課題について研修を重ねていました。

 研修視察で2班に編成された委員は、それぞれの班が静岡県大須賀町と三重県伊勢市を視察し大手スーパーに対抗した経緯や、町の歴史と市について現地研修を行ったのです。

 そこで保坂氏は、昔の東海道の街道筋だった歴史的町並みが残っている大須賀町の青年達が結集し、大型店に対抗するパワーを自分達の夢や地域商店街に懸ける意欲ある行動をしていることに共感を抱き、青年が夢を語り、意見や発想を取り入れた環境づくりをお互いの交流によって広め行動することを、この八郎潟町でも展開できるのではないかを持ちかけてきたのです。

 当時、町内の青年組織が弱体化しており、青年会組織も自然消滅の危機に瀕していました。目立った地域活動していたのは商工会青年部位と記憶していますが、構成員は地元商工業者の後継者と言う限られたメンバーです。もっと広く多方面にわたり交流する人材が求められたのです。八郎潟町に住んでいる人、職場が八郎潟町にある人が、保坂氏のネットワークで集められました。金融機関の行員はもとより、誘致企業の社員や教員、医師、会社員など、同じ町に住んでいても今まで交流の無かった人達などが50人以上集まりました。

 「この会って何をする会なの?・‥。」訳もわからず青年達が集まったのです。
 ここで保坂氏の術にはまった訳は・・・。「酒を飲ませるから、まずMyグラスや御猪口を持って商工会館に来て見なさい」と。そこで日本酒について、醸造方法や使用する酒米による味の違いを講師の酒店経営者から教えてもらい、それぞれのうんちくを語り合いながら楽しい一日を過ごしたのです。

 保坂氏は、次の企画を『本物について』と題し、わたしたちは焼き物について美術商店経営者を講師に迎え、手に取りながら代表的な焼き物について触れる機会を得たのです。

 そうこうしているうちに、正式な会にしようと準備委員会が設置され、北都銀行の2階ホールで何度となく、会の方向性や活動内容について意見を出し合ったのでした。

 会の名杯は、八郎潟の八の字にちなみ8を横にして、数学記号で無限を意味する∞をメビィウスの輪と呼ぶことで、無限の可能性を持った青年達が集まり交流する(輪となる)ことを第一の目的に挙げ通称名となったのです。

 これから会の設立だという矢先、世話人となり私達を見守ってくれた保坂氏の転勤が突然やってきてしまい、コーディネーターとして奔走してくれた保坂氏に頼り切っていた私達は、どのようにして会を進めたら良いのか解らないままに、「とにかくここまで進めたのだから会を発足させよう」と予定より2ヵ月遅れたが、6月に設立総会を開催し、どうにかスタートしたのです。

 それからは、会員相互の親睦を主体に、自分達の住む八郎潟町、職場のある八郎潟町をよく知ろうと、歴史や展望について各界から講師を招き講演会や学習会を開きながら、町内の施設を利用しながら活動を展開したのです。

 初めの2年間くらいは、各人の名前が解らなくて名札を付けて事業を行っていましたが、現在では会員の性格や個性まで把握できるようになったことは喜ばしいことです。

 最後に5年間メビウスが活動してきたことを振返りながら、未来に向かって邁進することを誓い、青年者として結束した力を行動力と夢を持って実現することを期待してお祝の言葉とします。

 
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